少し前に読んだ青木重幸氏(進化生物学における群淘汰説を否定する強力な根拠を提示したアブラムシの研究者)の著書『兵隊を持ったアブラムシ』の中で紹介されていた本書。青木氏はこの本に衝撃を受け、系統分類学者としての記述的な研究から、問題設定を明確にしたうえでの兵隊アブラムシの研究に乗り出したといいます。私自身も理学部学生としての研究が本格的に始まったということで、研究テーマを詰めていく上で本書が参考になるのではないかと考え、読むことにしました。
半世紀にわたって様々な論争や影響を世の中に与え続けてきた本書を、一端の大学生がざっと一読したところで意味のある議論を見出せるはずがありません。また、十分な理解を得るために繰り返し本書を読む時間も残念ながら今はありません。そこで、いつの日かこの本を再読するときのために、本書の核心的な用語や考え方をメモ程度に書き連ねていきます。このとき、イアン・ハッキングによって書かれた序説を大いに参考にしました。したがってこのページには一切の哲学的吟味は含まれません。また、以下はメモ書き程度のものですので哲学者が議論に用いるときほどの厳密さは保証されていません。
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○筆者の考える「科学革命の構造」とは
ある限定された科学領域について考える。
その時代にコミュニティーで受け入れられている「パラダイム」があり、科学者はそのパラダイムの下で「通常研究」を進めている。パラダイムに基づく通常研究では現象と結果が一致しないことはしばしばあるが、これを一致させることが通常研究の役割でもある。
ところが、予想を甚だしく裏切る「アノマリー」が生じてき、それが無視できないほど深刻な程度にまで達するとコミュニティーは「危機」と呼ばれる状況に陥る。科学者は現行のパラダイムに一致させるために通常研究を続ける。
現行のパラダイムに染まりきっていない若い科学者などによって新しいパラダイムが持ち込まれることがある。
このパラダイムが危機を生み出しているアノマリーを解決する能力が相対的に高いことを基本として、現行パラダイム信奉者を説得するのに足る根拠(証明によって示すのではなく説得であることに注意、ここには非科学的な側面や審美性も含まれる)が十分にある場合、パラダイムシフトが起こっていく。
ただし、パラダイムの異なる科学者間では解決すべき問題設定が異なり、したがって同じ事象から読みとるデータの種類すら異なるため(これが「通訳不可能性」。上で説得としたのは、異なるパラダイムが支配する世界の間で証明によって古いパラダイムの不適合を理解させるのは難しいから)、長い間古いパラダイムを信仰していた科学者がそれを捨て去ることは容易ではない場合がある。したがって、そういった科学者が引退し、古いパラダイムに染まっていない若い科学者が台頭して新しいものを受け入れるようになることでパラダイムシフトが完了することがしばしばある。
○革命の不可視性
学生が学ぶ教科書では、このような科学の進歩の文脈が表現されることはない。科学史についての記載では、単元ごとの著名な科学者を散発的に紹介する。このやり方では、これらの科学者があたかも発見を累積的に科学界に付け加えてきたかのような印象を与えてしまう。この評論の冒頭には、このようにして植え付けられた科学像を変えるのが目的であると明記されている。
○用語
・パラダイム - 科学者を従来のやり方から離脱させ新たな科学者グループを形成できるくらいには前例のない、また新しい研究者グループに多くの未解決問題を与えるだけの発展性をもつ研究成果。
・科学革命 - パラダイムシフトがおこればそれまで通常研究を支配していた原理が変化することになる。その結果、同じ現象を見ていてもパラダイムシフト前後では得る(パラダイムの下で得ようとする)データそのものが抜本的に異なることになり、この変化のことを革命になぞらえている。
・通常研究 - あるパラダイムの下で科学者が進める研究のこと。クーンはこれを、パラダイムが残したパズルを解くことに例えている。①測定や実験により正確に事実を確定する ②観察結果とパラダイムの理論とを一致させる ③論理の明確化 の3パターンがあるが、これらでは新規のパラダイムを見出すことは目指していない(これらの中でアノマリーが見いだされることはある)。
・アノマリー - あるパラダイムの下での予想とは甚だしく異なるような結果。予想に反する現象は多々あるが、それらは早急に解決される。またアノマリーの中でどれが危機につながるような研究価値のあるものになるかの考察は、本書では避けられていた。
・危機 - アノマリーが無視できないほど影響をもち多くの科学者が注目するようになると、通常研究の下で論理の明確化が進められるが、そのうちに何がパラダイムなのか科学者の間で一致をみなくなる。この状態を危機と呼んでいる。